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益々輝きを増してきた東京で楽しめる本場の味を求めて -東京のイタリア料理店の今昔物語-
皆様、こんにちは。
ほんの少し前まで夏の気分で過ごしていたら、あっというまに11月になってしまいました。 前回のブログでも触れましたが、8月のお休みの際は遠方へ旅行せずいくつかの都内のイタリア料理店を訪問したりしてイタリアの食文化の深さをここ東京で楽しみました。その際、訪問するお店を決めるために色々と調べてみると、2010年前後で本当に沢山のイタリア料理屋さんが都内に出来たことに驚きました。 しかも、イタリア修行経験を有するシェフや実際にイタリア人シェフがいるお店が相当数におよびます。
既に何軒かを訪ねましたが、中には提供する料理のレベルがご本家イタリアにある人気店以上であったりします。遂にそんなお店が複数出現している東京。和食はあたりまえですが、既に名店がひしめく中華やフレンチ、インド等のエスニックやアメリカン、メキシカン、アラブ、そしてこのイタリアンにいたる多くの本格料理店の誕生は、グルメのオリンピックではありませんが、まさに世界に誇るべき現象と言えるのではないでしょうか。特にイタリアンは、時に本国以上の味やメニューに出会うことさえあるのです。今回はそんなイタリア料理店の変遷に注目してみます。
自分は90年代後半にミラノへ引っ越してしまったので、遡ること90年代の前半までの東京にはイタリア料理の名店は本当に数えられる程しかなかったと記憶しています。 まずは日本のイタリア料理界の元祖のような存在であるリストランテ・アントニオ。 東京で、現在50歳以上の食いしん坊が初めて本物のイタリア料理と出会ったのは多分このアントニオであったはずです。今も青山や代官山に素敵な店舗が健在ですが、80年代は軽井沢にもテラスのある洒落た季節店舗があって、当時はセレブな別荘族で常に満席だったので、自分のような一般人にとっては万平ホテルのカフェテラス以上に羨望の的でした。
次に、今や有名になられた落合シェフと接客の神様のようだった斉藤支配人のお二人がイタリア料理の普及に大きく貢献されたといっても過言ではない赤坂のグラナータ、テーブル席で60席前後はあったであろう広い店内では、バブル期のブランド隆盛期に来日した著名ファッションデザイナー等、出張で来日したイタリア人と日本側の取引先が毎晩ここで会食をしていました。 ローマの一流料理学校を卒業後、長年現地の有名店でご活躍された鮎田シェフが80年代前半にイタリア人の奥様と帰国し麻布十番にオープンされた、日本に一切媚びない料理で真のイタリア料理ファンを魅了してきたラコメータ。さらには、イタリア全土の有名リストランテやトラットリアのみならずフランスの星付レストランからビストロまでをも食べつくした伊仏料理の博士のような藤本オーナーがローマの名店 ダ・チェンチアの姉妹店として高田馬場にオープンし40年近くが経つタベルナ。
他にも同じ高田馬場と池袋にもあるリストランテ文流、青山のサバティーニ・ローマと銀座の同名フィレンツェ。西麻布の老舗アルポルト。当時では珍しくイタリア人オーナーシェフが切り盛りしていた神楽坂のシックなカルミネ食堂。純イタリアンという視点では微妙ですが六本木の名店キャンティなど。残念ながら閉店してしまった店では、麹町のラコロンバや外苑前にあったお洒落なヴィザヴィ、原宿のバスタパスタなどが思い出されます。
また、イタリア風をうたった老舗の洋食屋さんとしては、恵比寿のコルシカや神泉のボラーチョ等があります。これらは純イタリア料理とは決して言えませんが、それをも凌ぐ独自の美味しさで40年近くが経過した今も多くのグルメを虜にしています。 当時は今のような情報ネットワークがなかったので、知らない名店が他にもあったのでしょうが、仮にそれらを含めたとしても、当時の本格イタリアンはこんな羅列が可能なくらい数えられるほどしかなかったと思います。
そして、90年代になると、鋭い感性で数々の名店をオープンした奇才、岡シェフが最初に手掛けた、イタリアのどこかのリストランテがスタッフごと引っ越してきたかと人々を錯覚させたイルボッカローネやその姉妹店ビスボッチャ、あるようでなかった本格的なナポリピッツァの先駆者となった目黒のサヴォイが次々にオープンし、東京のイタリア料理屋さんがより充実してきましたが、丁度その頃、自分は日本を離れることになってしまい、以後2006年位までの情報についてはほぼ空白となっています。
帰国後、イタリアでピッツァを週に1回は食べていた家族が、東京在住のイタリア人に、イタリア人も満足する日常使いができる手頃なピッツェリアが都内にあるかと尋ねてみたところ、学芸大学の某ピッツェリアを紹介されました。 そこはピッツァの出来栄えにムラこそありましたが、そんなところもナポリっぽくて結構気に入って通ったのですが、残念なことに3年ほどして閉店してしまいました。このピッツェリアでピッツァをつくっていた小林氏は、滞在許可証で苦労しながら不法滞在ぎりぎりのところで2年間ナポリのカゼルタでピッツァと料理を学び帰国した強者で、実にナポリらしいピッツァを焼いてくれるのですが、気分の良し悪しでピッツァの焼け具合が変わってしまうナポリ風の欠点も習得していたりして、色々な意味で楽しませてもらいました。いつになるかは知りませんが、彼の新しいお店のオープンが今は待ち遠しい限りです。
さて、次にまた東京在住のイタリア人に紹介されたピッツェリア・トラットリアが白金高輪のタランテッラダルイジです。前回ブログでも言及した通り、ここで日本のイタリア料理のレベルの高さを思い知り、何度か通う内に再びイタ飯が日常の中で蘇るきかっけになった店です。タランテッラダルイジのおかげで、過去には数えるほどしかなかった本格志向のイタリア料理の名店が、各々小粒でありながらも周囲に多く存在していることを知りました。それらは、プーリアだシチリアだ、ヴェネトだナポリだトスカーナだと、まるでワインの名産地ごとに郷土料理を追求しているが如く地域に特化していたりして、過去の名店以上に専門的且つ本格的です。中でも特筆すべきは、やはりピッツァで、これほどナポリと変わらぬ美味なピッツァを提供するピッツェリアがここ日本に誕生しているとは夢にも思いませんでした。そして、その多くがナポリと同等、いや数軒については今やナポリでさえ消滅しつつあるような1ランク上のクオリティを誇るピッツァをここ日本で実現しています。
現地でしか味わえなかった筈の味が東京のここでもあそこでも味わえるのです。一昔前のアメリカではありませんが、多くの若い人達が今風のオープンマインドと情熱でもってイタリアへ行き、好きこそものの上手なれ的な精神と根性で逆境に耐え、数年を経て舌がイタリア人化した頃に帰国して、大手企業が手掛けるイタリア風レストランで働きながら資金をため、いよいよ自分自身のイタリア観を思いっきり表現した、とは言えこじんまりとした瀟洒なお店を自ら構える、というケースが増えているようです。 ひと頃は、やれ水が違うからとか、気候が違うとか、同じ素材が手に入っても時間的問題で鮮度が異なるからとか言われ、上述の名店でさえもイタリアと同じ味を日本で出すのは一般に困難とされていましたが、今のお店は本国と同等かそれ以上だったりします。そして、そんなお店は、店内に入ったとたんにイタリアと同じ香りが漂っています。
単なる真似っこ漫才ではなく空気までがイタリアになってしまっていると言っても過言ではありません。 その背景には、イタリア食材を輸入する食品商社の増加もあります。最近は、殆ど手に入らなかった欧州野菜をつくる農家や新鮮さが命のモッツァレッラやリコッタといったチーズを生産する酪農家までもが出現し、原材料調達の背景にも大きな変化が生まれています。イタリアに赴任した頃は、イタリアはまだまだ遠い国であったはずが、気がつけばこの10年前後で様々なイタリアの味がもの凄く身近なものになっていました。
帰国して3~4年経っても、ピッツァと食後のエスプレッソ以外イタリア料理はもう十分と思っていた自分がタランテッラダルイジに出会い、そのリアリティある料理にやられてからは、同店オーナーの寺床氏から同氏がイタリア修行時に一緒だった同士達のお店を教わり、そこでまた別の同様なお店を教わり、今はまわり切れないほどの新しい名店をひとつひとつ訪問し楽しませてもらっています。長年、日伊間のビジネスに携わってまいりましたが、良きイタリア文化の伝道師として今最も輝いているのが4~5年前から増えてきたこんなイタリア料理屋さんとそれを一生懸命維持している、味覚が殆どイタリア人化してしまったような若きシェフ達と言えるのではないでしょうか。
イタリアと言えば、ファッションやインテリア、車等で注目されていますが、今、日本で最も元気にイタリアを印象付けているのは、より本物度が増してきたイタリア料理店がひしめく飲食の分野と実感しています。タランテッラを軸に知り合ったイタリア料理店のシェフ達は、安心して寝られる宿もないような環境で石にかじりつくような修業を行い、好きがこうじて2年3年は劣悪環境を情熱で耐えイタリアの味をその舌で覚え帰国した猛者ばかりです。何回か旅して得た表層的な知識だけで外から見えるイタリアを紹介しているのではなく、本物を志すシェフ達は、イタリアに一度腰を据え、身をもって習得すべきものを習得し、現地の生活を通じてその長所も短所も含めた本質を理解しています。
ボルボーネを初めて知ったきっかけは、仕事仲間でグルメの友でもあるナポリの某ファッションブランドのセールスディレクター シモーネ氏から執拗な紹介を受け、試飲をしてみたことに端を発します。 最初は及び腰でしたが、試してみると、ただでも美味しいナポリのコーヒーの中でも風味の良さが突出していたため、日本へサンプルを持ち帰る決心をしました。
そして、エスプレッソのプロである芹沢氏とイタリア料理のプロ寺床氏という二人の本物を志向するイタリア文化の伝道師に試していただき、光栄にも共感を得ることとなり、輸入を決心した次第です。 イタリア料理に感動し、習得した味覚や技術をさらに自分自身のセンスで消化発展させ広めていかんとする若き強者達のパッションが詰まった、まるで小さな巨人のようなイタリア料理屋さんがある限り、ボルボーネのコーヒー豆でもって、そんな彼らを応援し続けていきたいと考えています。